2009/10/15
中部電力というのは大きな組織、1万5000人の従業員を抱えていて、優秀な人も多いわけですよ。その人たちをうまく使ってれば良かった。ここ(名古屋証券取引所)はわずか40人しかいないから、教育が大事になってきますよね。
(名証が)株式会社になった時に(社長として)来て、最初のあいさつで「ぼろ船だ。ほっておいたら沈むぞ。嫌なら沈まない方法を考えろ」と言いました。社長訓示でも、ケネディの演説をまねて「名証が君たちに何をしてくれるかではなく、君たちが名証に何ができるかを常に考えろ」。決められたことをやっていればいいのではない、という意味合いで話したんです。
それまでは大蔵省からの人が理事長をやってこられて、全面的に規制の下で仕事をしていたんですよね。従業員も右から左へ仕事を流せばいいという感じで、いわば“お役所仕事”だったわけです。
(中電と名証で)規模は違いますけど、経営という面では同じなんですよね。最終的に利益を上げないといけない。黒字にはこだわっているんです、中電時代は経理・財務畑できましたから。
以前の取引所は会員制の法人組織で、赤字が出れば会員の証券会社が負担をするようになっていたんです。それですとどうしても経営が安易になる。従業員には、経費の節減を口を酸っぱくしてたたきこみました。
(就任して)7年がたちましたけど、中電のような競争にさらされていない業界と比べても、まだ生ぬるいなあ。だけど一度も赤字は出していないし、3年前から配当も出せるようになりました。変わってきているとは思いますよ。
年に2度、(上場している企業の)決算発表の前に直接、社長さんからお話を聞く機会をつくっているんですよ。大企業から、オーナー企業で堅実にやっているところ、新興企業で若手の血気盛んな社長とかね。
15分か20分足らずですが、いろいろお話を聞いて、この年齢になっても世間を見る目が広がりました。会社の大小を問わず、社長になる人は人格と経験、将来を見通す力を備えておられる。競争が激しい時代になるほど、そういうものがない人は、社長になっても短命に終わるんでしょう。
【くろやなぎ・のぼる】横浜市立大商学部卒、58年中部電力入社。燃料部長、支配人・広報室長などを経て89年取締役、93年電気事業連合会出向。97年中電副社長。01年中電ビル社長。02年4月、株式会社化した名古屋証券取引所の初代社長に就任。75歳。愛知県岡崎市出身。
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