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【流儀あり】くよくよしたってダメ 日本ガイシ・柴田昌治会長

2009/07/30

 信条は、と問われれば「シンク・ポジティブ」だな。要するに、積極的に物事を考える。1000円ポケットに入っていたら、1000円しかないと思うんじゃなくて、1000円で何ができるんだと。後ろ向いてくよくよしたってどうしようもない。

 一番苦労したのは、アメリカのボルティモアにある会社の再建だな。ロックインシュレーターズっていう碍子(がいし)の会社で、真っ赤っか(の赤字)でストがあってどうしようもなかった。(ニューヨーク勤務の経験があったので)“お礼奉公”で、社長をやってこいと。

 大きな会社なんだけど設備は古いし、アメリカで最も戦闘的な強い組合だったからね。(労使関係も)でたらめなルールでできとる。冗談じゃねえっていうんで、1981年に行ってすぐ改革案を出したんだけれど、若いのに生意気なこと言うんじゃねえと。いくら工場を閉めると言っても聞かない。

 これじゃ引き下がれないっていうんで、ボルティモアの市長とかにも相談して3年間で策を練って、次の更改の時にルールを全部変えましたよ。それで初めて黒字になった。

 その間毎日工場に行って、何が足りないのかともう一度勉強して、社員と話し合って、だからみんな友達になりましたよ。黒字になった時はクリスマスに七面鳥とかが入ったパッケージを全員に贈ったら(社員の)奥さんから「うちの父ちゃん何十年勤めとって、こんなもんもらってきたことない」なんて感謝の手紙が届いた。

 で、ボルティモアにいた83年に(日本ガイシの)役員になったんだよな。本社に一回も勤務したことのないやつが。それで日本に帰ってきたら、今度は真っ赤っかな電子部品事業。アメリカで立て直したもんだからこっちもやってくれと。

 それを何とか格好付けて、94年かな。社長になったんだけど。そんな経歴で、要するにまったく本流ではない。妙な社長ができあがったもんだよな。

 アメリカとかで学んだのはね、人間というのはなるようにしかならんと。だからって「ケ・セラ・セラ」と何もしないんじゃない。自分なりに考えてベストを尽くして。結果はね、神様にしか分からない。よりどころなんてないよ。自分のこれまでの生きざまの中で最終的には判断しなきゃね。

 【しばた・まさはる】 名古屋大法学部卒。59年日本ガイシ入社。米ニューヨーク駐在、米ボルティモア駐在、専務、社長を経て02年6月、会長に就任。同年5月から4年間、日本経団連副会長を務め、春闘の経営側の指針となる経営労働政策委員会報告のとりまとめなどに尽力。72歳。名古屋市南区出身。