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【暮らし】働く そして、家族は(中)生きるため耐えた母

2009/04/16

低い収入 子どもにも不安

 「テレビCMを流せる大きな会社で働くなんて、お母さんはすごい」。会社員加賀沢紘子さん(22)=前橋市=にとって自慢の母だった。
 母・志のぶさん(50)は大手損保で自賠責支払い業務を担当。十二年前に離婚してから、一人で紘子さんと中三の妹(14)を育ててきた。「母子家庭なのに貧しさを感じなかったのは一流企業の給与が高いからだ、と思っていた」と紘子さん。

 でも、入学した国立大学の授業料は全額免除された。「低収入の家庭でないと免除されないはずなのに」。紘子さんの心の中で疑問は広がっていった。大学三年になると、母は夜も働き始めた。

 大学三年の冬、母から本当のことを打ち明けられた。「入社してから十六年間、給与は十六万五百円のままで一度も昇給はなかった。フルタイムだけど、一年更新の非正規社員なの」

 新人教育やパートへの指示など正社員業務をこなしていても、低賃金を強いられていた。しかも母の身分「一般嘱託」は障害者がほとんど。母も足が不自由だった。紘子さんは「正社員並みの仕事をさせて、障害者だから低賃金。ひどい差別だった」と憤る。正社員と同じ業務を担当した十二年間の差額分は二千二百万円にも上る。

 「同じ給与なら、楽な仕事に変えよう」と決意し、退社を切り出した母に、会社は正社員登用試験を勧めてきた。母は張り切って、早出や残業で熱意を見せたが昨年秋、試験に落ちた。紘子さんは「退職を引き延ばし、その間に業務を引き継がせるための時間稼ぎだった」と信じて疑わない。

 紘子さんは正社員になれたものの、昨年の就職活動中は「非正規社員にしかなれず、母親と同じような扱いをされたら」と考えると怖かった。一から教えた正社員の後輩が自分より高給という理不尽さ。母はプライドをズタズタにされたに違いない。母は現在、東京東部労組の支援を受け、正社員としての雇用などを求め、会社と交渉中だ。

 「私と妹を路頭に迷わせないため、理不尽な扱いを受けたのに、母は表に出さずに耐えた。今度は署名活動でも何でもして、私が母を支えたい」

    ◇

 ひとり親世帯、特に母子家庭世帯の収入は今も低いままだ。厚生労働省の調査によると、二〇〇五年の母子世帯の平均年収は二百十三万円。同年の全世帯平均約五百六十四万円の四割以下だ。生活保護の母子加算も四月から廃止された。子どもの進学・就職面でさらに不利になることが懸念されている。

    ◇

 東京都の明星大学三年、荒木孝嘉さん(21)が覚えている母親は、いつも忙しく走り回っている姿だった。

 孝嘉さんが中学一年の時、父が突然死去した。ダウン症の姉、妹二人の計四人の子どもとの暮らしを、母晶子さん(51)が一人で担うことになった。

 生きていくために、母は兵庫県姫路市の自宅一階で二十四時間対応の託児所を始めた。午前四時すぎに迎えにくる親もいて、気の休まらない毎日だった。

 孝嘉さんが高校に入ると、母は神戸市の訪問介護事業所で働き始めた。毎朝七時に出て、深夜に帰宅する日も。疲れ切ってソファに横たわり、そのまま朝まで寝てしまうこともよくあった。

 孝嘉さんは高校時代は部活でサッカーに打ち込み、塾にも通わせてもらった。「したいことはできたし、感謝している」。でも小遣いは月三千円で、友達と遊びに行けなかった。家族旅行の記憶もほとんどない。「仕方がない。母は自分たちのためにここまで働いてくれるのだから。お金がほしいとは、とても切り出せなかった」

 大学生活は父の生命保険金と、あしなが育英会の奨学金で賄っている。孝嘉さんは「卒業後、スポーツ関係の仕事に就き育ててもらった分の親孝行をしたい」と話す。

 母は離れて暮らす今も介護の仕事で忙しい。一人でパアーッと突っ走り、頑張りすぎちゃう母。孝嘉さんは心配になって、時々チャットに書き込む。「おかん、無理せんようにな」(服部利崇)

加賀沢志のぶさん(左)紘子さん母娘は2週間に1度ドライブをする。何でも話せる仲だ=前橋市内で
加賀沢志のぶさん(左)紘子さん母娘は2週間に1度ドライブをする。何でも話せる仲だ=前橋市内で
「無理せんようにな」。頑張る母が心配でならない荒木孝嘉さん=東京都日野市で
「無理せんようにな」。頑張る母が心配でならない荒木孝嘉さん=東京都日野市で