2016/02/12
出会いそして絆 明日に向かって-。がん経験者と支援者が夜通し歩き続けるイベント「リレー・フォー・ライフ(RFL)」の大会旗を見ると、乳がん経験者の山口史依さん(51)=愛知県岡崎市=はいつも胸が熱くなる。
二〇一三年の大会で実行委員長を務めた翌月、勤務先の自動車関連会社で、契約社員から念願の正社員になった。
大会準備と仕事をこなしながら、正社員試験の狭き門をくぐれたのは「生きて、いつまでも仲間と歩きたい」との思いがあったから。今も、得意の英語を生かして、フルタイムで海外営業の事務をこなす。
主婦だった〇六年の秋。夫の会社の人間ドックで左胸に異常を指摘され、精密検査で三センチ大のがんが見つかった。すでにリンパ節にも転移しており、手術と抗がん剤、放射線、ホルモン療法と主な治療をすべて受けた。
手術から一年後、通院を続けながら、就職活動を始めた。「一人で家にこもっていると、ネガティブなことしか考えない」と思ったから。高額な治療費も家計を圧迫していた。
英語や中国語が話せることもあり、派遣会社に登録すると、すぐに仕事を紹介された。だが、「がんで一カ月に一度の通院が必要」と条件を伝えると、四社立て続けに採用されなかった。理由は告げられていない。でも、派遣会社の担当者から「病名は隠そう」と言われた。
がんは「婦人科系の病気」と言い換え、通院も「三カ月に一度」に減らすと、すぐに採用が決まった。
でも病名を言えないことは想像以上につらかった。手術の後遺症で左腕が重く、しびれることがあり、同じ姿勢で長時間机に向かうのがきつかったが、配慮を求められない。治療で髪の毛が抜け、かつらを着けていたため、ずれていないか常に不安で、夏の節電でエアコンを切られると、蒸し暑くてたまらなかった。
それでも働くことで「人の役に立ち、社会とつながっていられる」ことが実感できた。
一一年に派遣から契約社員になった直後、胸骨に転移が見つかった。限られた有給休暇をやりくりして治療を続ける中で、RFLが毎年、地元の岡崎市で開かれていることを知った。
これまで経験したことのない胸の激しい痛みや転移の不安もあり、仲間を求めて実行委員に応募。大会当日、広場でたくさんのがん経験者が拍手を浴びながら笑顔で堂々と歩く姿に、涙があふれた。
「ここでは隠さなくていいんだ。私は一人じゃない」。やっと、がんを本当に受け入れられた気がした。大会で元気づけられ、「少しでも上を目指そう」と正社員試験に挑戦。二年後の大会実行委員長にも手を挙げた。
発病時、まだ中学生だった次女は今春、大学を卒業する。就職も決まった。今は正社員になって増えた有給休暇を活用し、全国各地のRFLにも参加する。職場の壁にも、RFLのポスターを張らしてもらっている。
「がんになっても、十分働ける。自分がもらった勇気を少しでも、今度は与えることができれば」
(山本真嗣)
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