2016/02/10
食道発声「仕事で手応え」
「声帯がなくても、話せるようになった。やろうと思って積み重ねれば、がんになっても、たいていのことは実現できる」
東京・恵比寿のサッポロビール本社。五年前に食道がんの手術で声帯を失った村本高史さん(51)がかすれ気味な、でも力のある声で語りかけた。
村本さんが一昨年、社内で始めた「いのちを伝える会」。終業後に毎月一~二回、食道を震わせる「食道発声法」で声を出し、社員に闘病体験を語る。「何かの役に立てば」との思いで開く会には、これまで約百三十人が参加した。
肩書は、経営戦略部プランニング・ディレクター。管理職から現場の課題を聞き、上層部に伝える。二年前の社内公募で「組織風土の改革に取り組みたい」と、自ら新しい業務を提案し、認められた。がんを患い、今も前線に立つ村本さんの言葉を聞こうと、会の参加者は絶えない。
人事のグループリーダー(課長)だった四十四歳のとき、食道の入り口にがんが見つかった。すでに五センチの大きさに達しており、半年の放射線治療でがんは一度は消えたものの、二年後に再発した。
主治医から「手術しかない」と伝えられたのは、人事総務部長に昇進したばかりの時期。がんは声帯の裏にあり、手術すれば声を失う。だが、手術をしなければ命にかかわる。不安の中、主治医が言った。「食道発声法を習得すれば、話せますよ」
手術前に、声帯を摘出した人を支援する公益社団法人「銀鈴会」(東京)の教室をのぞいた。「あー、あー」。震える声が響く。喉頭、咽頭、食道、甲状腺…。皆、さまざまながんで声帯を失っていた。食道発声は声帯を失った人しか教えられず、がんの先輩が先生。支え合い、笑顔で練習に励む姿に背中を押された。
退院後から教室に通い、一カ月後に初めて「あ」と言えた。同じ言葉を一日千回、何時間も練習した。
復職までさまざまな工夫をした。社員や関係先にメールで経緯を報告。筆談用の電子メモを持ち歩き、積極的に話し掛けて練習した。「仕事で話すことで、上達の手応えを感じた」。小腸の一部を食道に移植しているためか、食事から時間がたつと食道が締まる感じがして話しにくくなるため、夕方の会議前には軽食を取る。広い会議室では小型の音声拡幅装置を使った。
会社の対応にも救われた。手術と自宅療養で三カ月休んだが、失効した有給を六十日まで使え、わずかな病欠で済んだ。勤務時間中の発声教室も「私用外出」として許可された。復職後は部下のいないポジションに異動したが、村本さんは「無理をさせない配慮」と受け止めている。
「こんな私だからできること。こんな私にしかできないこと。そんなことを考えながら生きていこう」。昨年四月、喉頭がんで声帯を失った音楽プロデューサーのつんく♂さんが母校で後輩に送ったエールに驚いた。復職時に職場にメールした言葉とよく似ていた。「同じ境遇だと、考え方も似るんだな」
五十歳になった一昨年、念願の第一子が生まれた。「いつまでも自分や社会を耕し、平らかに広がり続けて」との願いを込め、耕平と名付けた。「生きてさえいれば、何とかなるし、いいことがある」。長男の名に恥じぬよう、自らを耕し続ける。
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がんになっても、働くことに生きる希望を見いだし、輝き続ける人たちの姿を伝える。
(山本真嗣)
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