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【暮らし】<ストップがん離職>(中) 会社の無理解

2015/12/17

 宇都宮市で整体院を経営する坂本裕明さん(49)は、仕事部屋にペットボトルの水を何本も置く。4年前に上咽頭がんを患い、放射線治療で唾液腺が壊れたため、今も唾液が出にくいから。「口はいつもぱさぱさ。水がないと、お客さんとの会話がもたついてしまう」

 自律神経も傷つき、昇圧剤の服用が毎日欠かせない。抗がん剤の後遺症で骨も痛みやすく、「治療前とは違う体のよう」。それでも徐々に慣れ、治療後に整体師の資格を取って始めた整体院は評判が良く、今は2号店も計画する。

 「がんは、治療後に後遺症や再発の恐怖との闘いが始まる。会社に少しの理解や配慮があれば、健常者と同じように働けると思う」。だが、かつて勤めていた会社は違った。

 進行した上咽頭がんと診断された当時、医療機器メーカーの契約社員だった。放射線と抗がん剤の治療で、4カ月の入院が必要と診断された。「早く治して。あとは何とかする」。最初は上司からこう言われた。

 ところが入院9日目、見舞いに来た同じ上司から離職関係の書類を渡され、「本社の意向」と承諾を迫られた。抗がん剤の影響で下痢や倦怠(けんたい)感がひどく、思考も十分に働かない。社側ともめて、給与や健康保険の傷病手当金の支給が遅れれば、治療費が払えないと思い、しぶしぶ判を押した。

 退職後の唯一の収入だった傷病手当金は、退院するともらえなくなった。まだ体中が痛み、医療用麻薬も服用していたが、医師が「労務不能ではない」と必要な書類を出さなかったからだ。

 やむなく、失業手当に切り替え、放射線技師の資格を生かそうと職業安定所を通じて複数の病院に応募したが、すべて書類審査で不採用。「がんであることと、検査で月2回ほどの通院が必要なことを伝えており、それが影響したのでは」。会社に頼るのではなく、起業の道を選んだ。

 がん患者と治療に対する会社側の無理解が、復職後も患者をさらに追い詰めている。

 「病気に甘えているんじゃないか」。中部地方で数年前に胃がんを患った30代の会社員男性は上司に言われ、やりきれなかった。

 開腹手術で胃の大半を切除し退院。職場復帰し、外来で抗がん剤治療を受けていた。治療後2日間は体がだるくて動けない。金曜日に有給休暇を使って通院し、土日を寝て過ごす生活。週明けにだるさが抜けきれず、ついボーッとしていたときの一言だった。

 がんになる前は毎日遅くまで残業をこなした。手術後は再発しないよう、繁忙期でも同僚が机に向かう中、定時に帰宅。抗がん剤の影響で免疫力も落ちているため、通勤も途中の駅まで自動車で行き、満員電車に乗る時間を少なくしていた。

 3週間に一度の通院で有給はすぐに使い切り、あとは休んだ分だけ病欠扱いになった。残業ができないため、手取りが半分以下に激減した月もある。ただ、見た目は健常者と変わらない。「自分ではサボっている認識はないんですが」

 がん患者の就労支援に取り組むキャリアコンサルタントの服部文さん(44)=名古屋市=は「企業の偏見や無理解は今も大きく、できるだけ頑張ろうと、つらさを会社に十分伝えないと誤解の一因になる。復職しても居づらくなって退職するケースも多い」と指摘。がんは種類や進行度、治療法、その後の状態は人によって全く違うため、「まず会社全体でがんという病気を知り、お互い情報共有することが必要だ」と話す。

施術の準備をする坂本裕明さん。ベッドの横にはペットボトルの水が欠かせない=宇都宮市で
施術の準備をする坂本裕明さん。ベッドの横にはペットボトルの水が欠かせない=宇都宮市で