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【暮らし】<ストップがん離職>(上) 告知されても辞めないで

2015/12/16

 今月も、収入の大半が治療に消えた。重い肝臓がんを患う東京都の福祉コンサルタント松崎匡(ただし)さん(46)は領収書を手にため息をついた。主な収入は月6万数千円の障害年金と、わずかな原稿料だけ。小中学生の子どもがおり、生活費は妻のパート代と、年老いた父の年金が頼りだ。「あのとき、仕事を辞めなければ…」。今も後悔する。

 福祉系専門学校の講師をしていた6年前、人間ドックで肝臓に異常が見つかり、病院でがんを告知された。正規採用の教務主任として当時は1日4コマの授業を週6日持つ日も。母が10年前に肝臓がんが分かった数カ月後に亡くなったこともあり、「自分もすぐ死ぬかもしれない。卒業式まで責任を持てないと、学生たちに迷惑がかかる」。頭が真っ白になり、手術が決まった日に退職願を出した。

 だが、がんは比較的早期で、負担の少ない腹腔(ふくくう)鏡で切除。10日間で退院し、年収600万円を失った現実が残った。

 間もなく、体は手術前とほぼ同じ状態まで回復。幸い知人の福祉事業所で非常勤の職を得て、仕事に慣れた1年後、再発した。入退院が続いて職場に居づらくなり、再び退職。再就職は難しいと思い、福祉事業所を起業したものの、体調不良で2年半で辞めた。

 病状が進行するにつれ、新しい抗がん剤を使うようになり、医療費は膨らんだ。一定額以上の自己負担分が払い戻される高額療養費制度を使っても、毎月上限いっぱいの約4万4000円。入院時の食事や、通院にかかる交通費なども数10万円は負担した。

 医療費以上に、「生活費の見込みが立たない」ことが重く心にのしかかる。長男は来年度が高校受験。教育費はどうするのか。父に介護が必要になったら…。「自分が生きていると、治療でお金が消えていく。もしものときは、家族に遺族年金が入る」「離婚して母子家庭になれば、いろいろな手当がもらえる。自分は生活保護を受ける」。そんな思いがよぎったこともある。

 3年前には転移も見つかり、「余命半年」と告知された。それでも「今も生きている」。自宅で家族と過ごす時間と、時折来る講演や原稿の依頼が「何よりの生きがい」だ。

 仕事を失ったとき「社会に置き去りにされた感じ」がした。働くことは、生活の糧や治療費を得る手段だけではなく「社会とつながり続ける接点」。夢はもう一度、教壇に立つこと。「気力はまだ十分ある」

 専門学校に退職願を出さなかったら、働けなくなったときに所得が最長1年半保障される健康保険の傷病手当金をもらうこともできたが、当時は制度があることを知らなかった。だからこそ、講演会などで言い続けている。「辞めるのはいつでもできる。告知されてもあわてて辞めないで」

      ◇

 日本人の2人に1人ががんになる時代。働き盛りの世代(20~64歳)も年間22万人が新たに罹患(りかん)する。医療の進歩で生存率は伸び、「がんとともに生きる」時間も長いが、告知直後を含め2~3割が依願退職しているというデータもある。がんと闘いながら働き続けられる社会をどうつくればいいのか、現場の声から探る。(山本真嗣)

松崎さんの9月分医療費の領収書。高額な数字が並ぶ=東京都内で(一部画像処理)
松崎さんの9月分医療費の領収書。高額な数字が並ぶ=東京都内で(一部画像処理)