2011/02/28
9歳の時に陶芸家の父を亡くし、お金にずっと苦労してきました。パソコンにのめり込みすぎて県立高校の受験に失敗、大検(大学入学資格検定)には受かったけど、大学にも行っていません。
収入の柱を失った母親が、子育てのために消費者金融から借金。それが2000万円にまで膨らんでいました。5人姉弟の4番目の長男でしたので、21歳のころ、全額肩代わりして、月に10万円ずつ返済を始めました。
お金の苦労はすごいストレスでした。当時、コンピューターソフトを開発する会社をつくったんです。でも、とにかく稼がなきゃいけない僕からみると、他の人はつらい思いはしたくないとか、休みたいとか、価値観が全く合わなくて。
エイチームを起業したのは1997年。でも、当時は地元企業の請求書作成ソフトなどの請負仕事ばかり。社員も暴力事件を起こしたり、ソフトを盗んだり、もう、ダメだと思った。
小学5年生のクリスマスプレゼントがトミー(現タカラトミー)のおもちゃのコンピューター「ぴゅう太」だったんです。ゲーム機だと思っていたら、説明書を読んだ姉が「これでゲームが作れるんだって」と。ゲームは大人が作るものだと思い込んでいたので、衝撃を受けました。
説明書を理解するのにとても苦労したけど、ある日一気に全部分かった。上から落ちてくる岩を避けながら、飛ぶ飛行機を操縦するゲームをプログラムしたのが最初です。
その後もゲーム作りばかり。数学で2次曲線を学ぶと、グラフを美しく描く方法、英単語の学習ソフトをプログラムした。懸命に英単語を打ち込んだけど、英単語そのものには興味がなかった。僕は自分で作るのが好きなんです。
請負仕事にもんもんとする日々。ある時、当時10人いた社員のうち、2人を自分たちで作りたいソフトをつくる担当にした。するといろいろな意見が出てきて、雰囲気が良くなってきたんです。このソフトは売れなかった。でも、こうして積み重ねた結果が、開発した420サイトが月に1億5000万円以上稼ぐようになる始まりでした。
失敗もたくさんありましたが、それを次に生かしてきた。だから失敗は許します。失敗しても、ヒットを出せば稼げる。ファインプレーが出るんです。
僕の借金はまだ返済を終わっていません。数百万円が残っています。なんとなく、ダメなような気がするんですよ。一気に返すのは。ようやく長いお金の苦労から解放され、ほっとする日のために、こつこつと返そうと決めたんです。
(聞き手・斉場保伸)
【はやし・たかお】 中学卒業後、ソフトウエア開発のアルバイト、塾経営などを経て、97年、エイチームを岐阜県土岐市で創業。ケータイゲームのほかに、引っ越し見積もりが多数の業者からすぐに取れる比較サイト「引越し価格ガイド」などを展開。10年7月期の売上高は35億円、従業員数は188人。トーマツが発表した10年テクノロジー企業成長率ランキングで、国内15位にランクイン。現在、名古屋ルーセントタワーに本社を置く。土岐市出身。39歳。
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