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【流儀あり】家族経営から“脱皮” 矢場とん女将・鈴木純子さん

2010/06/04

 サラリーマン家庭で育ちまして。1971年にお嫁に来ました。人の出入りが多い都会の商売屋さんっていうあこがれを持ってきましたが、現実は違っていました。

 当時はおいしいというより安い店というイメージ。大衆食堂だからしょうがないっていうけど、それがいやで。友人に「きれいでおいしいね」って思われたくて。「食べに来てよ」って胸を張って言いたかったけど、ずっと言えなかったんです。

 例えばのれん。お店の顔なのに、風が吹くと飛ばされるような粗末なもので。輪ゴムで止めていました。誰もそれをおかしいと思っていませんでした。

 店を任されるようになって、ずっと変えたいと思っていたのれんを、まず変えました。女性でも入れるようなきれいな店にしたいけど、改装するお金がなかった。それで、長いのれんにしたんです。店の中を隠すために。

 インパクトの強い赤色にして。キャラクターの「ブーちゃん」の絵も入れました。リアルでかわいくなかったので、ふっくらとかわいくして。それがヒットしたんです。のれんの前で記念写真を撮る人もいました。

 とにかく「当たり前」を大切にしましたね。商売屋だからといって特別じゃない。小さな店でも、きちんと企業としてやっていかないとだめだと思います。

 お金の扱いも、当時は現金商売で、ごちゃごちゃの公私混同。それが納得いかなくて、販売時点情報管理(POS)を入れました。

 取引先との関係も。昔からのつきあいだからって、平気で期日を遅らせてきた。そういうのは(家族経営の)家業じゃなくて、企業にならないと改善できないかなって。それで、2000年に有限会社にしました。

 従業員を変えるのは大変でしたよ。こちらが改善をお願いして「分かりました」って言っても、勝手に(以前のやり方に)戻しちゃうんですよ。でも、それは自分たちが便利で楽だから。外から来た私が、一番お客さま目線に近かったんですね。原点は、普通の家庭も商売屋さんも、基本は一緒っていう思いです。だから私でも(女将(おかみ)が)できた。

 小さなお店を大きくするのは、多くの人に喜んでもらうため。狭い店に行列したり、名古屋駅からタクシーで来店してもらったり。そんな不自由な思いをさせたくないから、もっともうけて出店して、店をきれいにしないと。自分のことだけを考えたら、大須の店で十分ですから。

 来年の春には福岡に出店します。大好きなみそカツを全国に広めたいという使命感はありますね。

 【すずき・じゅんこ】 東海学園女子短大卒。71年、名古屋市中区大須の豚カツ専門店「矢場とん」2代目社長の鈴木孝幸さんと結婚。90年から女将に就いて店の現場を仕切る。01年の「名古屋駅エスカ店」を皮切りに多店舗化し、現在は9店舗を展開。年商約17億円。名古屋市南区出身。62歳。

家族経営からの脱却について語る矢場とんのおかみ・鈴木純子さん=名古屋中区大須の同本店で
家族経営からの脱却について語る矢場とんのおかみ・鈴木純子さん=名古屋中区大須の同本店で